12/24/2008

犬飼い。強し。





大正時代を考えて見ましょう。現在のカオス(混沌)とした日常。

「歴史は繰り返される」

こういった点から少し現状を考えて見ましょう。

今から約90年前。
日露戦争後、第二次世界大戦敗戦までの約40年間(日露勝利~太平洋敗戦)の時代。
実に不思議な、尚且つ今の時代を考えるに教訓となりえると思います。

日本は日露戦争終了後、資本主義の急速な発展と成長で、大衆に政治的・市民的自由を
自覚させ、様々な自主集団が設立された。自由と権利の獲得、抑圧からの解放に対して声高に
叫ばれる時代背景。今ではそれらの時代文化を(大正デモクラシー)と呼んでいる。
そんな中一つの大事件が起こった。

★【世界恐慌】

この影響は、日本も例外ではなかった。大不況による企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。
また五私鉄疑獄事件などの政界癒着事件などで、ある程度の知識を持った一般大衆は政治への不信
を募らせた。そんな中、また事件は起こる・・・。

★【五・一五事件】

実は犬養首相は、護憲派の重鎮で軍縮を支持しており、その考えは大正デモクラシーで生まれた
知識階級やマルクス主義者などの革新派とも繋がる一面もあった。
当時の軍人は軍服姿で電車に乗ると罵声を浴びるなど、肩身の狭い時代でもあった。
ましてや、大陸進出を急ぐ帝国陸軍と、それに関わる大陸利権を狙う新興財閥にとっても
非常に邪魔な存在であった。
そして、1932年5月15日大日本帝国海軍急進派の青年将校らにより暗殺される。
この事件後、斎藤実、岡田啓介という軍人内閣が成立し、軍人が政治に関与する時代
が出来るのであった。
しかしながら、事件の背景には、当時の政党政治の腐敗に対する反感もあり、民衆からは
犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、彼らたちへの判決は軽いものとなった。


★【元厚生労働省事務次官殺害事件】

これは先日の元厚生労働省事務次官の事件とも共通性があるのかもしれません。
殆どのマスコミは事件発生後、「テロ」という言葉を見出しに使ったコメンテーターも然りである。
今の現状は36年前の殺された愛犬の恨みであると報道する。
殆どの国民は、以前のような厚生労働省に対する否定的な意見は出ないであろう。
これはマスコミの功罪でもある。
まさに「犬飼、強し」である。


【五・一五事件と二・ニ六事件との大きな違い】

二・二六事件は、実際に体制転換・権力奪取を狙い下の部下達を集め、一つの【軍事力】を使用
したクーデターと考えられる。これに対して、五・一五事件は暗殺テロと考えるべきだと思います。
二・二六事件当時、青年将校兵達は、決して身近な戦争を望んではいなかったと思います。
それ以上に、次々と入隊してくる若い初年兵達の故郷の貧困の現状を身近に感じ、一部の
青年将校兵達が国の現状を憂い、政治介入とも取れる行動を行ったのが事実だと思います。
たった500部の「粛軍に関する意見書」でも真崎教育総監は更迭される。
国会では貧困の問題を解決すべく出された法案
「農地改革法」も地元の富豪や大地主が幅を利かせていた
議会で通るはずも無く、ストレスは募る一方だったのでしょう。
彼らの気持ちは分かりますね。

しかし若さゆえの過ちを犯してしまった。
それは行動前の「縦への連絡」。

「奉勅命令」が出た時、すぐにそれに従えば
今の日本も変わっていたのかもしれません。
たら・れば」の話ですいません。

★【テロとクーデターの違い】
クーデター型の世直し運動は、最終的にその成果を自分達で主導するわけではなく
やがて新たなエリート官僚に簒奪され、最終的に、国民大衆のためにならない。

★【テロの意義】
テロリズム。俗にいう正義(強者)と悪(弱者)
弱者は正攻法では強者には叶わない。
だからどのような方法も考え、行う。
また弱者には色々な思想があり根本的に自己の思想が正しい(正義)である
と考え、場合によっては「死」を選択する。
私はこれを「葉隠思想」とも考える。

正義と悪とは、立場によって逆転するもの。

然しその立場は民衆によって決められる。


第三者からの情報によって・・。

第三者であるマスコミは本当に岐路に立っているはずだろう。
企業も広告費を削る。
「電通」の本当の姿を知っていながら、今日も番組を流している。
「記者クラブ」という南アフリカと日本にしか存在しない「談合報道組織」
を通じて、毎日何枚もの記事を垂れ流す。

庶民はもう騙されない。

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