小学校からサッカーをやってはいたが、高校まではほとんど無名選手。
日本大学に一般入試で入学し、居酒屋でアルバイトしながら練習するような状況であった。
1993年の天皇杯関東大会の対筑波大学戦では、試合があるのを忘れて朝まで飲んでいた
岡野だったが、大岩剛、望月重良、藤田俊哉を擁した強豪相手に五人抜きのゴールを含む
2得点を挙げてJリーグの6クラブから声が掛かるようになる。
中でも浦和が一番熱心で「大学を辞めてでも来てくれ」という熱意に動かされ、日大を3年で中退
し浦和レッドダイヤモンズ入団した。同期入団の選手に山田暢久がいる。
テクニック・や華麗さは無く、守備も殆どアマチュアレベルの選手でありながら
1997年、W杯アジア第3代表決定戦(対イラン代表)に延長前半から出場。
GKと1対1など決定機を数度逃すも決勝ゴールを決め、日本をワールドカップ初出場に導いた。
そのプレースタイルは「犬のような選手」と相手チームから恐れられた。
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