1/19/2009

流浪の民

紀元前1800年頃。
イスラエル人の祖先『アブラハム』がカナンの地に
半定住するまでの放浪から、その歴史は始まったのだろうか?

パレスチナの地に古代イスラエル王国が誕生。
幾もの戦いにより土地を奪われ、ローマ帝国の属州となりながらも
何とかパレスチナの土地に定住できたユダヤ人。
そんな中で、ローマ帝国からの独立を目指し戦い、敗れ、ユダヤ民族の多くは
世界の各地に分散していった。

時は流れ、1917年。
ドイツ・オーストリア・オスマントルコ・ブルガリア王国と
イギリス・フランス・ロシア、日本、イタリア、アメリカ合衆国との戦い。
第一次世界大戦の真っ只中であった。
イギリス政府はアラブ人の領袖であるメッカ太守『フサイン・イブン・アリー』と
オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に
当時オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明した。【バルフォア宣言】


しかしその裏で、パレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人にその支援を約束した。
ユダヤ人、アラブ人両方に問題なのはその国家建立の場所が、パレスチナ全域
ではなく宗教的な絶対的聖地『エルサレム』の獲得である事は周知の事実であった。
熱心なユダヤ教徒をはじめとした、ユダヤ人のエルサレムへの入植が始まった。
反面、砂漠の僻地に移り住むより今住んでいるヨーロッパでの平穏な生活を
求む者が多く、エルサレムでのユダヤ人口増加は大きなものではなく、表立った民族対立は皆無であった。
1920年代のパレスチナは、二つの民族が平和な共存生活をしていた場所であった。

そんな中、ヨーロッパに再び大戦火が訪れる。
アドルフ・ヒトラーの台頭。ポーランド進攻。
第二次世界大戦勃発である。

ユダヤ人はゲットーに収容されるか北アルプスを越えて
パレスチナに逃げるしかなかった。
エルサレム、パレスチナのユダヤ人の人口増加。
アラブ人との対立も増えてきた。

第二次世界大戦終了後の1948年
国連決議によりイスラエル国が建国される。
この時イギリスは決議に棄権した。
後は現在に至っている。

どちらが正義か、どちらが悪か・・・?

本当の悪魔は、その崇高な民族意識を巧みに利用し、金儲けに利用した者であろう。


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